僕たちはなぜ出会い、そしてどこへ行くのか

なんか音がしたなと顔をあげると、遠くに靴が片っぽ脱げたおばあちゃんが倒れていました。

「え?」と驚きつつも駆け寄って「大丈夫ですか?!」と、ちょっとドラマチックに声をかけると、おばあちゃんどうやら意識はあるようで、顔をこちらに向けるや「あの馬鹿が、あたしを置いて帰りやがって~!!」と突然、怒りを爆発させました。

「京都の大学行かせてやったのにあの馬鹿が!!」

大丈夫・・・・・・なんだろうか。ともかく、そうこうしてたら人も集り、頭を打ってるかもしれないから救急車を呼ぼうとなり、おばあちゃんと救急車を15分ほど待つこととなりました。

「あ~、前歯が折れちまった。歯だけは全部自分の歯で自慢だったのによ~。あの馬鹿が、あたしを置いて帰りやがって~。京都の大学に行かせてやったのにあの馬鹿が!!」

お年寄り特有の会話のデジャブ感・・・・・・。まあそんな調子で、救急車が来るまでの15分、身体の具合を聞くのももちろんながら、おばあちゃんの生涯をみっちり聞く機会に恵まれました。

ーおばあちゃんは75歳。旦那さんは10年ほど前に亡くなり、現在は42歳の息子さんと団地に暮らしている。ここにはその息子さんと車で来た。

ー旦那さんは電気屋さんでお金もあった。それもあり、息子を良い大学へ出すことが出来た。

ーけど、息子は嫁も作らず、家でろくな生活をしていない。馬鹿。

ーあたしなんかは10代の頃から東京に出て、女中として散々苦労してきたのに。便所で小便するでもなく泣いて過ごしたこともあったし、朝から晩までずっと働きづめだった。

ー串焼き屋の仕事をしてたため、野菜や魚の串焼きはすごく上手く出来る。

ーそのころから毎日のように鰯を食べてるから、歯が丈夫で自慢だったのに・・・・・・あの馬鹿のせいで、欠けちまった。あの馬鹿が、あたしを置いて先に帰りやがって~!」

そうやって話が巡り巡る間に、救急車がおばあちゃんを迎えにきました。隊員の方が手際よくおばあちゃんをベッドに乗せ、元気なおばあちゃんはベッドの上で身体を半分起こしたまま救急車へと運ばれていきました。

ドアが閉まり、サイレンとともに赤いランプがくるくると光り・・・・・・救急車が走り出すや、まるで「行ってらっしゃい」というように僕は手を振りました。そのまま見えなくなるまで手を振り続け、見えなくなると一瞬空間が空っぽになり、僕の心はなんとも言えぬ人生の静けさに包まれました。

そして、そのまま駅に向かった電車での帰り道のことです。

僕はドア際のほうに立っていて、iphoneを片手に、窓に見える過ぎゆく春の景色をぼんやりと眺めていました。

ある小さな駅に止まったとき、反対側のホームに止まった電車に、僕と同じようにドアの窓から外を眺める様子の女の子がいました。

僕は最初気づきませんでした。けど、ふと視線を感じて目を向けると、反対の電車からその子がこちらをじっと見つめていて、僕と目が合うやこちらに向かって手を振ってきました。

僕は驚いて、「ああ、これはドッキリだ。きっと僕なんかじゃなく、僕の後ろにいる誰かに向かって手を振っているに違いない」と、さっと目を逸らし、まるで隠れるようにiphoneに目をうつしました。

1分ほどたち、止まっていた電車の出発アナウンスがホームに流れました。

「さすがに、もう見てないだろう」と、電車が動く前に恐る恐るもう一度その子を見てみました。すると、その子はまだこちらを見ていて、目が合ったと知るや、またこちらに向かって手を振ってきました。

ベルの音とともに、電車のドアが閉まりました。

「もしかして、あの子には僕が見えてるのだろうか・・・・・・」

僕が物心つかない子供のように手を振り返すと、その子は飛び跳ねて、隣にいた友達になにかを報告したようでした。そして僕が手を振るあいだに、その子も、電車も、一瞬にして遠くへ・・・・・・もう二度と見えないほどに離れていきました。

僕は、得も言えぬ不思議な気分になりました。

あのおばあちゃんにしろ、あの女の子にしろ・・・・・・その「出会いしかない出会い」に、一体どれだけの人生が集約されているのだろうと。

あの出会いのすべてである一瞬に、僕の存在した意味が、濁りのない僕の存在のすべてがあったのだとしたら・・・・・・

その存在のすべては、このたどり着いた一瞬へと、染み込むように、もう二度と切り離せないようにして、消えてしまったのかもしれません。

そう、僕の存在は、あの一瞬の中へ消えてしまった。

そして、もし出会いが、すべてそういう性格を持つものだとしたら・・・・・・

僕(出会う人たち)はもしかしたら、消えるために歩いているのかもしれない。