「ツァラトゥストラ」を僭越至極ながら語る

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ツァラトゥストラ」という本がありまして。

僕は数年前に初めてこの本を読んだとき、それまでの読書で感じたことの無かった、ある体験をしました。

一体どんな体験か・・・・・・というと、それは誰にでもある「感動」体験だったのですが、ただ一つ異質だったのは、それが、身が震えるほどの恐怖を沸き立たすような「感動」だったことです。

僕は本を読んで、こんなに恐ろしくなることはそれまでありませんでした。魂の芯から寒気がするような、思わず本を投げ捨て、自らの胸を掻いて叫びたくなるような、この本を読んでいると、

「なにかが自分の中で起こっている」

と、それを感じずにはいられなくなってくるのです。
そして、それは「力」なのです。目をそらせたくなるほどの「力」です。この本には、それまで生身で触れたことのないような「力」が、1ページどころか1センテンスごとに綴じられているのです。

本の冒頭で、この物語の主人公である「ツァラトゥストラ」は叫びます。

「超人とは大地の意義である」

そして、徹底的に「天上の希望」というべき妄想を否定し、「大地に、より忠実になる道」を人々に猛烈に説きます。

絶対的に生きろ! と、
いまお前が感じいてる幸福は、お前が超人になったときにはクソみたいなものなんだと、お前らの「理性」や「徳」や「正義」なんてものは、ホンモノのそれじゃあなく、ただ、自分を安心させるためだけのみじめなものなんだと!

たとえば、ホンモノの「正義」というのは、それは灼熱の火のような人であるはずだ! ホンモノの「理性」とは、獲物に飛びかかるライオンのように知恵を求める者にこそあるはずだと、「ツァラトゥストラ」は物語の外の人々へも、「より“意志”に忠実に生きろ!」と激しく説くのです。

「神は死んだ」との有名な言葉がありますが、問題は、神に救いを求めるばかりの卑しい魂にあるのです。自らが考えるべき、動くべきことを、なぜかそうせずに「希望」に押しつける人の精神が死んでいるというのです。

「大地への意志」こと、生きることへの絶対的な肯定感がないのです。だから、人は「奇跡」を求めるようになってくる。答えを、天上に求めたがる。しかし、それじゃあ「生」とはますます遠ざかるばかり。まるで幽霊ではないですか。目的も、行くさきも知らない、道ばたに落ちているお菓子のような幸福を集めるだけの。

違うのです。生きるとは、そこを超えることなのです! ただ死んでいく精神を食い止めるように、意志とともに、自らの「力」で行くさきを求めるのです!!

歩むのです。自らの力で歩むのです。ツァラトゥストラはこう言います。

「人とは、小さな汚れた川だ。われわれは思いきって、大河へとならなければならない。小川の汚れなんか一瞬で飲み込むほどの大河に! 自らを超えよ」と。