跡を「つぐ」とは、己の中に獣を飼うことである

【嗣】

「嗣」は家の跡目をつぐこと、あるいは官位などの位を継ぐこと、またはその儀礼をあらわす。「嗣」は「口」と「冊」と「司」の組み合わせで、「冊」は儀礼の際にもちいる犠牲(いけにえ)の獣を飼っておく柵の形。その儀礼は犠牲を供え、祝詞(口)を奏上して執り行うのである。

白川静 著 「字統」「字通」より

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実は僕の名前にもある「嗣」という漢字。これは「ツグ」という読みもあり、「跡継ぎ」を意味する傍ら、その形の成り立ちに「生け贄を飼う」という意味が隠されています。

つまり後を継ぐということは、いのちを継ぐのも、想いを継ぐのも、伝統を継ぐのも、己の中に「生け贄を飼う」ということと同じ意味なのです。

例えるなら・・・・・・「寄生虫」もそうです。

僕があるときテレビを見ていると、(というか、クリスマスイヴの夜)NHK寄生虫のことをやっていました。場面は小さなプールです。そのプールの縁に小さなコオロギがいたのですが、ふと飛び跳ねていたかと思ったら、自分からプールに落ちて足をバタバタと溺れだしました。そして・・・・・・コオロギに異変が起こりました。

どんな異変かというと、足をバタつかせるコオロギの肛門から、突然、全長でいったらコオロギの何倍もあろうかという線虫がニュルニュルと飛び出してきたのです。

「この虫は、コオロギに寄生していたハリガネムシです。ハリガネムシは、コオロギに寄生するとそのコオロギを操作し、コオロギが水辺に近づくと水に飛び込むよう仕向けるのです」

そうやってコオロギを水に飛び込ませ、こんどはそのコオロギを食べた魚を宿主とするわけです。この専門家がいうには、ある日本の河川では、その川に生息する魚の約6割のエサが、ハリガネムシに寄生され自殺したコオロギやバッタだったそうです。

そしてもちろん、寄生虫に宿主が操作される例は「人間」にもあるわけです。

そのテレビを見てから、僕はこの3日間(クリスマスを含む)ずっと寄生虫について調べてたのですが、人間の性格を変えることが分かっている寄生虫のひとつに、「トキソプラズマ」という寄生虫がいます。

この寄生虫は、“猫科の動物の体内でしか生殖できない”という不思議な生態をしています。つまり、この寄生虫としては、サケの川登りよろしく、「どうにかして、猫にたどり着きたい」わけです。言わば、猫がこの寄生虫にとってのエルサレム、その地にたどり着くのがこの寄生虫にとっての一生の「夢」なのです。しかし、この寄生虫には足も羽も無いどころか、その大きさは細菌ほどの大きさしかない。そんなんで、じゃあ一体どうやって猫にたどり着けるのか・・・・・・

答えはこうです。トキソプラズマに感染した「人間」は、なぜか猫好きになるのです。

もっと分かりやすい話をすると、トキソプラズマに感染したネズミは、彼の天敵であるにも関わらず、猫に接近する習性を持つようになります。そして、ネズミは猫に食べられ、晴れてトキソプラズマは猫の体内というシャングリラに住まうことが出来るのです。

ただ、もちろんトキソプラズマの影響は「猫好き」だけには収まりません。分かっているのは、トキソプラズマに感染した人は、鬱やヒステリーの症状が多く出る。また男性は反社会的に、規則を破るような特性が出るようになり、女性は社交的・・・・・・というかヤリ○ンになるとの研究結果があります。

そして、この寄生虫に、世界人口の約3人に1人が感染しています。特にハムなど生肉を好む食文化圏では(フランスなど)、感染率が人口の約8割にものぼるそうです(日本では1~2割)。

・・・・・・みなさんはどうでしょうか? この話は事実ですが、もし自分の中に寄生虫がいて、彼らに志向すべきものを操作されているとしたら、一体どんな気持ちでしょう? 自分が自分ではないものの手によって生きているとしたら・・・・・・どうですか?

寄生虫の話はここまでにしますが、ただもっと言えば、チーズについているカビ菌や、麹菌や、乳酸菌なども実はそのような性質があります。

「腸は第二の脳」と呼ばれるのもその所以なのですが、例えばスティルトンチーズというチーズを寝る前に食べた人は、「菜食主義のワニが子供を襲えなくて嘆く夢」といった、鮮明で奇妙な夢を見るようになるそうです。実際僕もその話を聞くなり試してみましたが、本当に鮮明な不思議な夢を見ました。

その他のチーズでも、例えばレッドチェダーチーズを食べた人が「子供のころの夢」を見やすくなるなどの報告があります。また、麹菌や乳酸菌といった菌類も「脳内物質を変化させる」ことは知られていますが、その課程で「宿主」になんかしらの「夢」を見させているとも考えられます。

そして、この「夢」についてですが、僕は催眠をはじめとした人の潜在意識についても学んできましたが、じゃあ「潜在意識とはなにか?」と問われると、それは「夢」以外の何者でもありません。

ただ「夢」は、寝ているときだけじゃなく、実は、起きているときにも見ている。

意識(五感)の光が強くて見えないだけで、実は起きながらにして人は夢を見続けているのです。そして、その夢が実は人を動かしている。見えない夢が、人間の性格を変容させ、志向を変容させ、行動も変容させている。

では、その夢はなにによって見せられているのか・・・・・・??

電通でしょうか。映画や、ニュースや、雑誌・・・・・・または親の言葉や、友人の言葉や、読んだ本によって、人は夢を見るのでしょうか?

寄生虫でしょうか? 腸内細菌でしょうか? 食べ物でしょうか?

天体の動きでしょうか? 低気圧ごときで身体がだるくなったり頭痛がするような人類ですから、そりゃ月や太陽、その他の天体が動けば、それだけ影響を受けるのも道理です。当たり前です。

それとも、体内に流れる血でしょうか? 家系でしょうか?

・・・・・・さて。

本当はクリスマスの夜に言いたかったんですが、最後に。

「わたしとは、誰でしょう?」
「わたしとは、誰でしょう?」
「わたしとは、誰でしょう?」