まさにブログ的な自己顕示欲

身体を調整したら、文章を書く気が起こらなくなった。
 
と同時に、あろうことか、突として絵を描きたくなった。
 
 

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「絵を描きたい」なんて、ここしばらく頭の中にこれっぽちもなかったのに。なのに身体が変わった途端、その身体と一緒に感性も変わったのか、つまりこれが世にいう変態ということなのか、一夜にして人が変わったように僕は絵を描き始めてしまった。
 
 
にも関わらず、身体が心がすでに動いているにも関わらず、なのにまったく、頭はなんてトロくさいことか。
 
 
「えっ、えっ、えっ、なに急に絵なんて描いてるの怖っ!」と、
 
「おまえは漫☆画太郎みたいな絵しか描けないんだからやめとけって!」と、
 
「ほら昔、好きな子への年賀状に絵を描いて送ったら、その絵を見たその子の母親に『あんた呪われてるんじゃない・・・・・・?』って言われたよね」と、
 
「ではご一緒に、はい! トーラウマッ、はい! トーラウマッ、はい! トーラウマッ、はいっ!!」って、この思考の声というか、この全力でモチベーションをへし折る感じというか、僕の心のブレーキってば優秀すぎやしませんか。
 
 
まあともかく、頭というのはそういう働きをするのです。身体が心が動いても「いやまてよ」と行動にブレーキをかけようとする。もしくは身体が心が動かなくても、「あっちに行ったほうが得や!」と計算すれば、仮にそれが地獄の入り口でも、行け行けーい!と行かせてしまう。
 
 
思えば、僕の好きなデヴィッド・フィンチャーの「ドラゴン・タトゥーの女」って映画でもそんなシーンがありましたなあ。
  
主人公はこいつが犯人だというのを感じていて、なのにその犯人の招待を「断るのは失礼かしら」と、行ったら危ないと本能で感じてるのに体裁を気にして行って、そんで死にかけるという。
 
逆に、その主人公の相方の子は“本能全開”な子で、この本能全開の感じが見てて気持ちよくて、けど不器用で見てて苦しくて、ああこの子は天使やなあと見てて恋しちゃうような感じで。
 
そんな理性と本能の対比が面白すぎる映画で・・・・・・つまりいうと、じゃあ人間とは理性たる存在なのか、それとも本能たる存在なのかということなのですよ。
 
 
そういえば、僕の整体の先生がよくこんなことを言っている。
 
「あなたはどこにいる?」
 
それで、ここですって胸のあたりを指さすと「心臓にいるってこと?」って言われ。じゃあここかなと頭を指すと「脳味噌があなたなの?」と言われて。
 
 
で、ふと、あれ? って思う。
 
 
僕は頭だけの存在かと。いや、違う。思考するしないに関わらず僕は息をし、心臓を動かし、熱い血を巡らせてる。もっといえば、思考するしないに関わらずに陰茎はそれが意志を持つかのような僕そのものすぎるじゃないか!
 
そしてそう考えると、指をさすには存在が大きすぎて(※ 陰茎が大きいという訳ではない)、僕は僕を指さすことが出来ないなあと。そう思ったという。
 
 
まあ、そんなわけで、なにを言いたかったか分からないけど、僕の僕は絵を描きたくなったから描くのです。うまいか下手かの判断は、素敵な思考世界の住人たちに任せよう。
 
しかし、僕が描く絵は相変わらずエグみがあって、自分で描いてて吐き気がするのは確かにそう。