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楽しみの下駄

お酒を飲むと楽しくなるという人がいる。
 
 
僕がお酒を飲まないというと「あら可哀想に」と「なにが楽しくて生きてるの?」と聞いてくる人たちのことだ。
 
もしくはそれこそ僕に八塩折の酒を飲ませ、それにより昏倒した隙に僕の股間のヤマタノオロチを顕現させ、なおかつ荒れ狂うオロチをその神妙な妙技にて鎮めせしめようとする神の使いことゲイな人たちもそう。って、はい、ごめんなさーい。
 
 
このまえ会った友人に「ひこくんの文章は、普通の女子が読むとまずドン引きするよね」と言われた意味を「ふーん」と噛みしめつつ話を戻すと、そうそうお酒を飲むと楽しくなる人が世の中にはいるんですって。
 
 
いや、楽しくなるというか、気持ちよくなるというか、今夜は何センチ甘えよう、みたいな? ともかく、人というのは、お酒を飲むと普段よりちょっと気分が変わるんだそうです。
 
 
言ってみれば、お酒を飲むことで、ちょっと見る景色が変わるという。
 
 
って、そういうと、まるで下駄を履くのと同じじゃあないですか。
 
 
下駄やら、ハイヒールやら、シークレットブーツやらを履くと、あら不思議、いつもより身長が10センチ高くなるわってのと、考えると同じじゃあないですか、ね?
 
もっといえば3Dメガネみたいなもんですよ。映画じゃなく、現実世界で3Dメガネを付けるようなもんですよ。そりゃ前後不覚にもなるし、気持ち悪くなって吐くのも不思議じゃないというか、いやいや、この文章は、べつにお酒を悪く言おうって、そんな話じゃないのです。
 
 
お酒は悪いぞー死ぬぞーっていって、しかしこの壷を買えばなんて、そんな商売をしたいんじゃなくてですね。そんなんより、もう一段めんどくさい「そういう下駄が、実は世の中に溢れているんだなあ」ということを、このごろよく考えるのです。
 
 
 
いわば、その人の感覚を、その人の感覚じゃなくさせるものが。この世界をちょっとでも楽しく見せようとするメガネが、人を正気じゃなくするものが、まあ世の中には溢れてますねと、そう思うのです。
 
 
 
で、なにがいいたのかというと、この下駄ですよ。
 
僕らの目線を数センチ変える下駄を、果たして僕らはどんだけ履いて歩いているのかと。どんだけ素の自分から遠い自分で生きているのかと。そして、もし下駄をすべて脱いだとき、その完璧なシラフな状態で果たして僕らはなにを見るのかと。
 
 
恋愛、仕事、お金、人気、権力、夢、食べ物、物語、音楽、そのほかもろもろろろろ。
 
 
 
もしお酒を止めたら、シラフの僕はこの世界をなんと見るだろうか。
 
この瞬間、すべての下駄を脱ぎ、もし完璧なシラフとなって地に足をつけたら、果たして僕らはこの世界を一体どう言葉に出来るだろうか・・・・・・
 
 
 
ほほほ。想像力があれば、この問題はすごく面白い問題なんだけど、さて、どうでしょうか。想像しがいがないですか。
 
ともかく、より美味い酒を飲めば、より楽しく幸せな人生になるのは確かなんですよね。ほんと、僕もお酒が飲めたら、高田クリニックの院長みたいな人生になれたかもしれないのに! キー! なんて。
 
 
ちなみに、いまこの文章を書いてるそばに、別れ話をしてるぽいカップルがいる。女の子が泣いている。ああ。酔いが醒める。まわりの人たちは、彼女の涙に気づかずに、自分の世界で楽しそうに笑ってる。僕は酔いがまた少し醒めた。そして心の中で、泣いてる彼女にティッシュを渡した。