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ビンビン古事記物語

神話 地獄

Facebookに載せた文章を、このごろはブログにも載せたりしている。
 
 
すると、ブログにはアクセス解析なんて機能があって、どの日に、どんだけのアクセスがありましたよこの人気者っていうのが分かるようになってるんだけど、
 
これが不思議なことに、5日前のアクセスが、なぜかその日だけグーンと伸びるという事件が起こった。
 
 
 
はてさて、5日前・・・・・・。
 
べつに自作自演したとか、市川海老蔵をまんじゅうにして食べましたとか、たこやきを落としたと思ったら市川海老蔵でしたとか、そんなことをした覚えもないのに一体なぜ・・・・・・。
 
 
が、その日の文章を見て、すぐ合点がいった。
 
 
 
そう、ビンビンである。
 
その日の文章で僕は、北斗の拳ラオウ様はビンビン大明神って感じで、一回の文章に15回も「ビンビン」と言ったのだが、つまりそれである。
 
 
みんなビンビンになりたいのだ。妖怪人間の「はやく人間になりたーい」よろしく「はやくビンビンになりたーい」者たちが、このラオウ様のエレクトエネルギーに吸い寄せられるようにして集まってしまったのだ。
 
 
  
そうかそうか。みんなビンビンになりたいか。
 
確かに僕の周りでも、彼がノットビンビンで、まるで天の岩戸でも閉じられたかのように世界が闇になってしまった女性が数多くいる。
 
いや、事実、ノットビンビンが一種の引きこもり現象だとしたときに、それはまさに神話の天の岩戸隠れそのものといって過言ではない。
 
 
 
ちなみにいうと、いま僕は、いたって真面目である。
 
いたって真面目に、ノットビンビンがどれだけ天の岩戸隠れなのかを言うと、ノットビンビンとは、つまり陰と陽が交わることを拒んでいるという状態なのだ。
 
どういうことかというと、万物は、陰と陽が交わることではじめて育まれる。陰と陽がそれぞれ旺盛にバランスよくしてるだけじゃダメで、それをつなぐビンビンがあってこそ、はじめて世界に調和が保たれるのである。
 
 
 
古代中国では、ビンビンのことを道(タオ)と呼んだ。陰と陽を繋ぐ道、それはすなわち、ビンビンのミルキーウェイに他ならない。
 
 
天の岩戸隠れとは、その陰と陽を結ぶミルキーウェイが、まさに遮断された状態なのだ。男が男の世界に篭もり、女が女の世界に籠もる。照らす者の光が、照らされる者に届かない。自分の姿が、もはや鏡に写らない。
 
そしてそうなったときに、世界はお互いをつなぎ止める接着剤を失ったと同じ状態になり、ボロボロこぼれるように、ゆるやかに崩壊をはじめるのである。
 
 
 
つまり、ノットビンビンとは、世界の終わりの始まりなのだ。
 
この昨今の二極化は、お互いが内に引きこもった、まさにビンビンを失いつつある世界の姿なのだ。
 

  
としたら、これは大変だ。一刻も早く、ビンビンの天の岩戸開きが必要じゃないか。さあ、祝詞をあげよ。ビンビンの大御神出現祈願の祝詞をあげよ。

さあ舞い踊れよ、アメノウズメ。自らが女性であることを忘れ、一心不乱に舞い踊れ。自らを忘れ、世界の壁を溶かしたもれ。恐怖を越え、八百万のすべてをまるく一つに納めたまえ。
 
高天原に笑いが咲く。神々もいまや自らを忘れた。
 
天の岩戸が少し開く。大御神が鏡を見る。照らす者の光が、照らされる者についに届く。自分の姿を、ついに陰の世界に見つける。あなたのなかにわたしを見つける。
 
愛おしくなる。尊い神はわたししかいないと思ってたのに、ああ、あなたもなんて尊い。なんて愛おしい神よ。
 
そして、ついに天の岩戸は大きく開いた。光が天の岩戸を押し開き、光と闇がひとつとなり、二つの世界をひとつに結んだ。
 

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