縄文人による縄文人のためのブログ

占星術やら数秘術より、もはや縄文人の特徴のほうが、よっぽど的中率高いんですけど。ほんと、どうすればいいですかね。
 
 
もう、いっそのこと名前も改名しちゃおうかな。ミドルネーム入れての、「オカノ・縄文人・マサシ」ってことにして、僕の言うことは縄文人の声であるとし、日経新聞または、学研ムーあたりに掲載してはくれませんか。
 
 
もしくは、24時間テレビに出て、縄文人なのにエクセルを操作する姿を披露しては、視聴者の感動の涙を誘おうじゃないですか。
 
 
 
まあでも、こんなこと言ってたら、この社会で頑張る幾多の縄文人に怒られそうだ。縄文人であることを言い訳に使うなと、縄文人でも立派に社会で活躍する人はごまんといるぞと。
 
 
それは確かにその通り、かもしれない・・・・・・
 
 
が、しかし、縄文人たちよ・・・・・・! きみたちは本当にそれでいいのか!!
 
 
 
いまや、この資本経済主義の社会こそが、人類の最も進化した社会の形のような云われかたをしてるけど、本当にみんなそれに納得しているのか?
 
 
この生活に、本当になにも違和感を感じないのか?
 
 
 
僕は、最近もアマゾンマーケットプレイスで騙されたぞ。鏡を買ったら歪んでいて、なんじゃこりゃあと返品申し立てたら「仕様です」と言われたんだ。
 
仕様だから、返品を受け付けてくれないって。じゃあ交換をってったら「交換は出来るけど、商品の検品をしてないので、交換しても似たような商品になる」って、なんだこの蟻地獄はあああああああ・・・・・・!
 
だったら商品概要ページに「海外製品のため歪みのあるおそれが」と書いてくれというか、それでアマゾンに「検品しない海外製品だというのを、商品ページに一言も書かないで販売してオッケーなの?」と問い合わせしてみたら、「それについては社外秘で、お答え出来かねます」が一生続いて、ああああああああ。人間がどこにもいないいいいい。
 
 
 
ともかく、そのやり取りのおかげで、僕はこの一ヶ月ずっと鬱MAX~マジで死にたいデスロード~状態なのである。
 
 
言っておくが、これがいまの世の中なのだ。ポスターの隅っこに、読めないような字で但し書きがあるのだ。縄文人にとっては、まるで「落とし穴ドッキリ」だらけの世の中である。いや、笑い事じゃなくて、そうなのだ。
 
 
 
確かに、その落とし穴だらけの世の中で、強く生きていける者は確かに尊敬に値する。縄文人にも関わらずに、落とし穴を仕掛ける側に回ってるとしたら、出世したね~ってなもんだ。
 
願わくば、僕もそのように生きたい。日々平和に、自分の幸福度を上げて、不幸をしりぞけ、幸せな友達と生きていきたい。
 
 
 
しかし、この世界のどこかで、いまこの瞬間にも落とし穴に落ちてる縄文人がいるかもしれないと思うと・・・・・・アマゾンで僕と同じ鏡を買って、そういうもんだと自分に言い聞かせている人がいると思うと、ああ、いたたまれない。
 
たとえ100人いるうちの99人が幸せでも、落とし穴に落ちて嘆く1人がいるなら、僕は幸せにはなれない。もっといえば、その人を“想うから”幸せになれないじゃない。そんな人が1人いるなら、その人がいると同時に、僕もそうなのである。
 
 
そうじゃなきゃ、おかしいのである。
 
 
 
そして、なによりこれは僕が言ってるんじゃない。僕じゃなく、僕の血がそう言うのだ。僕の濃い縄文人の血が、全身の体毛が、まるで触覚のように、敏感に喜びや哀しみの空気をキャッチし雄叫びをあげているのである。
 
 
 
そんなわけで、結局なにが言いたいかというと、「縄文どうでしょう?」 という一言につきる。
 
日本を取り戻すとか言うまえに、まず日本から縄文を取り戻す。いや、取り戻さなくても良いから、いま一度、違う感覚があることを、社会が見つめ直してもいいんじゃないか。
 
 
いままでは、縄文人のほうが資本経済社会に自らを適合させ生きていたが、もしかしたら正解はそれだけじゃないんじゃないか。95%染まったこの社会の価値観に、いま一度多様性を・・・・・・綺麗事の多様性じゃなく、本当の意味での多様性を、つまり、なにが言いたいかというと、テレビにもっと毛深い人を出せってことだ。
 
 
ジャニーズは脱毛すんなや!!
 
 
そしてそれと別に、縄文については、それを知識だけ詰め込んだ専門家が語るのじゃなく、本当の意味での当事者が語るべきなのだ。
 
 
つまり、知識じゃなく、血に語らせろと。
 
 
もっといえば、どこを見回してもみんな知識で話してるのを見るのは、もう本当にうんざりなんだ。専門家の知識じゃなく、縄文人である僕のすべての声が縄文の声、その血の叫び、そのものなのだ。
 
 
というか、新しい世界のあり方を、知識だけで話し合っても限界があるに決まってるじゃないか。どんな素晴らしい社会システムを考えたからって、システムで心は作れない。心を生み出すのは血だ。
 
 
 
頭じゃなく、血が本当の文化を作るんだ。
 
 
 
・・・・・・というわけで、オカノ・縄文人・マサシとして、血で語るコメンテーターとして活躍したいので、誰かお仕事待ってます(((o(*゚▽゚*)o)))