泥棒に入られて気づいたこと。

うちに泥棒が入りました。

 

というわけで「お金が消えた!!」と交番に飛び込み、お巡りさんがうちに来て、そのあとに刑事さんと鑑識の人も来て、なんやかんや今日はいろいろと初体験の多い日になりました。

 

しかし、びっくりしましたね。財布あけたら空っぽなんですもん。気づいた瞬間「確かに、お金を入れてたはずなのに!」ってなもんです。けどこれが時間が経つにつれて「あれ~。実は使ったのかな~」なんて疑心暗鬼になったりして。

 

よく、冤罪事件の話なんかで、「刑事さんに無理矢理自供させられ、罪を認めてしまった」なんて話がありますが、そうなるのもよく分かりますね。

 

だって、普通、人は自分の生活にいちいち気づいてないですもん。このときこれをして、その次にあれをしてなんて、一体どれだけの人が正確に言えることか。そもそも、昨日の晩ご飯さえ、なに食べたか覚えてない人だっているわけですから。

 

無意識で、まるで夢遊病者のように生きてる人がいっぱいいるわけですから。

 

車を運転してたら、いつのまにかうちに着いてたみたいな人もいるわけですから。

 

そんな人に、「あなたは、人をひいてたんです!」なんて強い語気で言ったら・・・・・・まあ普通は否定するのは難しいですよね。「ひいてないとは思うけど・・・・・・でももしかしたら、そうなのかもしれない」なんて思えちゃうかもしれません。

 

世の中のマーケティング手法も、これと同じですね。本当は必要のないものを「欲しい!!」って思わせるものは、みんなそういう手口です。

 

自分に気づいてない人は、簡単に、そう思いこまされるというわけです。もっといえば、そのときの意図的な流れに「なんとなく」流されざるを得ないのです。

 

で、僕の場合は、自分のお金にぜんぜん気づいてなかったのが災いですね。思想や行動には、わりかし気づいてる方と思ってたのですが、これがお金に関してはぜんぜんダメだったんです。きっと、「スーパーどんぶり勘定」で生きてたツケが回ってきたのでしょう。

 

僕は、いままで自分の財布にいくら入ってるかってのを把握してないで生きてきたのですが、この一件のおかげで、「これからは、お金にもちゃんと気づいていきよう!」と思いました。

 

ほんと、そうならないためにも、みなさんも意識的に生きた方がいいですよ!!
 
 
・・・・・・で、話戻って。

 

お金がない!」と気づいて、とりあえず交番に行ったら「現場を見させてください」って話になったんです。それで自宅にお巡りさんを案内することになったんですけど、案内しながら話をしてたら、なにやら話が弾んじゃいまして。

 

だって僕みたいな人間が、公務員や警察官の人となかなか話す機会なんてないですからね。なので「こんな機会はなかなかない!」とばかりに、パンパンな制服の中身とか、「なんで警官になろうと思ったんですか?」とか聞いたり、お巡りさんが花粉症だと言えば、「花粉症だったら、ゆで卵の白身を潰して鼻の奥にこすると治りますよ!」と教えたりして・・・・・・

 

お巡りさんが帰るころには、「また被害にあって、交番に遊びに行きますよ!」とかそんな話をしていました。

 

いや~。泥棒が来なかったら、このお巡りさんとも接点がなかったと思うと、泥棒さんに感謝ですね。思わず、つぎ被害にあうのが少し楽しみになってきたというか・・・・・・

 

僕なんかが言うのもですが、人生って、こう考えるといくらでも楽しくなります。

 

最近、なんかのブログで「その場所や人といるのが苦痛なら離れろ、時間の無駄だ」なんて書いてたのを見たんですが、人生なんて、楽しもうと思えばそれがどんな場所でも楽しめるはずです。自分で楽しく出来るはずです。

 

逆に「そこが楽しくないから違う場所にいく」なんて発想は、ものすごく西洋文明的な発想だと思います。「新大陸へ!」なんて美しく飾っては、アメリカ大陸を侵略するのと同じ発想なんです。

いくら「ありのまま」やらスピリチュアルだとか言っても、実はこれは非常に物質的な考えなんです。

 

まえに、映画のドラえもんで、のび太が地球を作るって話を見たことがあるんですが、この映画のラストで、その地球で栄えた二つの文明があわや戦争をするというシーンがあります。まだ幼かった僕はそれを固唾を呑んで見守りました。「のび太ドラえもんは、一体どうやって平和を作るんだろう?」と。

 

すると、のび太が閃きました。「そうだ! もうひとつ地球を作ればいいんだ!!」

 

え、え、えええ・・・・・・??

 

僕は唖然としました。幼いながらに「なにも・・・・・・、なにも解決になってないよドラえもん!!」と叫びました。

 

しかし、映画はそれで、みんな笑顔のハッピーエンドとなり・・・・・・僕はひとり宇宙に取り残されたようでした。

 

「それぞれが住みやすい世界にいけば、世界は平和になる・・・・・・そんな馬鹿な!! いくら住みやすい場所を作っても、そこでまた争いが起きるに決まってるじゃないか!!」

 

さあ、自由とはなんでしょう。平和とは、幸せとは。

 

それは外に求めるものなのでしょうか?

 

楽しい人と、素晴らしい環境にいれば、それは幸せなのでしょうか?

 

僕は、そうではないと思います。どんな人といても、どんな環境にあっても、人は、その人自身の力で、その時間を地獄から天国に出来る可能性があると思う。

 

僕の好きな映画に「ライフ・イズ・ビューティフル」というアウシュビッツに収容されたユダヤ人親子の話があるのですが、もし見たことない人がいれば、これは絶対に見たほうがいいです。これこそが映画であり、人生です。

 

また違う話をすると、よく健康や自然治癒力の話で「滅菌の部屋で育った子は、抵抗力が弱くなる」なんていいますけど、言ってみれば「心の環境」の話でもこれは同じことなんです。

 

つまり、「周りに自分を楽しませてくれる人がいればいるほど、人は、自分から人生を楽しむ力が失われていく」のです。

 

一日一日の、なにげない、あたたかな人生に感動する力が失われるのです。

 

道端のタンポポが、雑草にしか見えなくなるのです。

 

そんなんじゃ、地球が二つあっても足りないのです。

 

「幸せとはなにか?」と言われたら、それは幸せな場所に浸かることじゃなく、自らを幸せにする精神的な力のことなのです。

 

「平和とはなにか?」と言われたら、それは平和な場所に住むことじゃなく、自ら平和であろうとする精神的な力のことなのです。

 

この内なる力に、僕たちは気づくべきなんです。育てるべきなんです。

当たり前のことを長々と書きましたが・・・・・・ともかく、僕は生きとし生けるものが幸せであるように祈っています。