24時間テレビ「童貞は地球を救う」

ー前回のあらすじー
 
 
21歳の童貞が、童貞から僧侶へのジョブチェンジを模索。しかし、冒険の末にたどり着いた寺院は、すでに闇の支配下となっていた。そこで闇の魔法、まばゆく光り輝くベンツに目がくらんだ童貞は、混乱、脱糞のステータス異常を受け、そのまま死亡。と同時に、童貞の宝である「純粋なハート」を失った。
 
しかし、復活の後、東京砂漠をさまよう童貞の前に、突如として怪しい賢人が現れる。そしてその賢人は、童貞にこう言ったのであった。
 
 
「すごい和尚さんを知ってるよ」
 
 
ーーーーーー
 
 
というわけで、純粋なハートを失った童貞こと僕は、そう言われてさっそく穿った質問をした。
 
 
「その人は、裏でウインナー食べないですか?」
 
「ウインナー? ・・・・・・でも、僕が行ったときに出た弁当には、お肉は入ってなかったな」
 
 
童貞の性質に、思いこみが激しい、一度そうだと思ったことをこの世の全てに適用するという悪いものがあるが、それが出てしまった形である。
 
また、童貞は全体的な印象を、一部に集約して心に焼き付けるという節がある。どういうことかというと、たとえば両親のセックスを見てしまったときにタバコの臭いがしたら、ああタバコは不潔なものだと一生タバコを憎むのである。
 
 
そういうわけで、童貞の僕には、ウインナーがダイナマイトに見えていた・・・・・・って、どんだけ童貞の解説に文字数を費やすんだ僕は。
 
 
 
というか、もしかしたら感づいている方もいるかもしれないが、実はこれを書いてるいまの僕は、童貞崇拝・・・・・・いや、童貞回帰論者なのである。
 
 
そしていま突として、「書きたい、童貞について書きたい!」と情熱が溢れ出たというか、なので申し訳ありませんが、これからの文章を急遽「世界の中心で童貞を叫ぶ」として捧げたいので、和尚さんなんちゃらの話は次回にします。はい。
 
 
 
というわけで、ああ、童貞はすばらしい。童貞の世界は、言ってみるなら、いま話題の「新海誠の世界」である。戻れるなら、いま一度、あの白内障かのようにキラキラ輝く、自己内省の多い世界に戻りたい。いま一度、自分本位の善に包まれ、そして寂しさと豊かに触れあえる僕に戻りたい。
 
 
けど、ダメなのだ。一度、童貞村を出た者は、その楽園から亡命した者と見られ、二度とその楽園の地を踏むことは許されない。そして、楽園の外を彷徨い、もはや一人では満たされなくなった魂の欠乏感を満たすため(慰めるため)、自らが安らげる温かいオアシスを追い求めるのである。
 
 
 
そして、オアシスを追い求めたとて、その道のりが困難であることは言うまでもない。運良く、最初の一歩目が運命のオアシスだったという輩もいるが、それは嘘か、もしくは新海誠の世界である。なめとんのか。(羨ましい)
 
 
だって普通は、最初の一歩は、オアシスどころか沼だ。
 
沼にハマって、ハマって、ハマって、底なし沼でドロドロである。
 
 
で、ドロドロになったところで、今度は逆に、透き通った泉を汚しはじめることをして・・・・・・つまり、いまや童貞村の外の環境は、そういうドロドロな、美容師や、バンドマンやら、ユーチューバーのせいで日に日に汚染されているのである。
 
 
 
ああ、まったく嘆かわしい・・・・・・というか、まあそれも自然界のありようなのだ。弱肉強食もとい、これで汚れる人もいれば、汚れない人もいる。
  
  
いくら沼に溺れようと、沼に染まらなければ、その人はその人だ。
 
また、たくさんの沼に染められたら染められたで、その色彩は神秘的な美しいものになるかもしれない。
 
 
 
けど、汚れるものは汚れる。汚れの原因は、沼にあるのではなく、自分自身への嘘にある。嘘に身を包んで沼に入ると、人は自ら傷つき、その傷より泥が入るなり膿んでいく。嘘とは、自分が自分に負けていくことだ。
 
 
 
そんなわけで、童貞村から飛び出した者は、困難伴う旅路を行くのである。
 
素直に一生安らげるオアシスを見つけるか、それとも何かに取り憑かれたように沼という沼を渡り歩くのか、はたまた自らも傷つけながら透き通った泉を汚し歩くのか。
 
 
けど、これでいいのか? 旅するものの話だけでいいのか?
 
このままだと、やはり環境が悪化の一歩をたどるのではないか?
 
沼は、もはや泉のようなその透明さを取り戻すことは出来ないのか?
 
 
 
いや、僕は知っているぞ!!
 
童貞が、最初の一歩として入った沼が、美しく透明に戻っていくことを!! 分かりやすく言うと、人生に疲れ果てた女子が、童貞と付き合うことでその傷を癒していくのを、僕はたくさん見てきたのだ!
 
 
つまり童貞の純粋さが、まるでEM菌のように、沼と化した水質を美しく浄化させていくのである!!!
 
 
 
そう、童貞はすばらしいのだ。
 
 
偉人でいえば、吉田松陰や、宮沢賢治は童貞である。
 
漫画の主人公で言えば、ルフィも、桜木花道も、孫悟空は違うけど、でも童貞みたいなもんである。
 
 
いまの時代に問題があるとするなら、それは童貞を大事にしないことにある。昔の時代は、男が童貞を卒業するときに、年上の女性に筆おろしをしてもらうという文化があった。
 
けどそれは、童貞が男になるという反面、女性が童貞に癒されるという面もあったのだ。
 
 
 
しかしいまの時代は、童貞を童貞村に閉じこめるという時代になってしまった。もっといえば、童貞が食い物にされる時代になってしまった。
 
いかん。童貞は尊いものなのだ。AVを見過ぎちゃいかん。アイドルにハマりすぎてはいかん。エネルギーを吸われるな。一人の世界に閉じこもってちゃ勿体ない。
 
 
童貞には、世界を美しくする力があるのだ。殺伐とした現実を、新海誠のように、光瞬く透き通った美しい世界にすることが出来るのだ!
 
 
 
しかし、いまの世の中の有り様を見るや、ただの童貞だけではもはや手遅れかもしれない。
 
童貞のエネルギーが、日に日に秋元康に吸われていく。いまや世の中は、エネルギーを無くした童貞ばかりというか、いまの世界にこそ、フォレスト・ガンプのようなウルトラ童貞が必要なのだ。
 
 
 
そんなわけで、僕は考えた。
 
この世界のために出来ることはと、一生懸命に考え、そしてこう思い至った。
 
 
 
僕はいま、新しい形の童貞になりたい。
 
言ってみれば、普通の童貞が、ただの童貞村の住人ならば、僕は童貞村を飛び出した旅路の果てに、自分の手による「シン・童貞村」を作ろうというのである。
 
つまり、普通が受動的童貞だとしたら、僕は能動的童貞になろうというのだ!
 
 
 
どんな女性の心にもお姫様が眠っているとしたら、どんな男の心にも童貞が眠っている。そして、なにより僕は、普通男子より、ひと一倍童貞ポテンシャルが高い。さあ、その長く眠りについた童貞の心を、いま一度、呼び起こすのだ。
 
いま一度、おれの童貞よ蘇れと、我が心の奥に住む童貞こと、ケンシロウを復活させるのである。ビンビンのラオウから、ユリアを守れ、ケンシロウ
  
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