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前世というのが本当にあるのだとしたら

地獄 瞑想 せかいのうらがわ

不思議だ・・・・・・。
 
まったくもって、摩訶不思議。
 
 
 
 
ってのも、前回、僕は神の子殺しを白状しました。
 
まあ、白状したといっても「あなたの前世は・・・・・・」って言われたことに1人盛り上がっただけの、言うなれば“ノストラダムスの大予言”的な話なんですけどもね。
 
 
 
実際、これを大槻教授に言ったら、むっちゃ怒られそう・・・・・・けど、もし仮に、大槻教授に百歩譲ってもらうとして、もし仮にそれが本当に真実だったとしたら?? 
 
仮にこれが真実だとして、その延長線上に自分という存在がいると考えたときに、一体そこになにが見える??
 
 
 
ともかく、そんなんで僕のメルヘンパワーを全開にし、まるで片思いのあの人にウフフと想いを馳せるように、その前世のローマ兵の彼と、いまの自分との共通点を探すと・・・・・・
 
 
 
「え? ローマ人といえば、テルマエ・ロマエ? ちょ、僕も温泉、大好きなんですけど〜!!」
 
 
みたいな感じで、二丁目のノリですいませんというか、まあ共通点だらけでこれが非常に興味深い。
 
 
  
また、前世がローマ兵だとしたら、きっと彼は格闘技にも長けてただろう・・・・・・そう思うと僕も、中学にした柔道では、何十戦して、「ブッチャー」という生涯忘れられないニックネームを持つ、大きな卵形の顔に、くっきりした二重あごが印象的な友人に、完璧に気を抜いて負けた一敗しか記憶がない。(組み合って、彼と見つめ合うのが面白すぎて負けた)
 
 
柔道では学校の番長みたいな人とも試合をしたけど、これも負けなかった。というか普通に勝っちゃうもんだから、「もう1試合!!」と、漢の負けず嫌いに火をつけちゃって、周りに誰もいなくなっても永遠と相手させられた。(結局、負けない)
 
 
 
それで、弓道にしても、始めて半年で大会初参加にして優勝しちゃうし・・・・・・いやはや、これだけあると、本当にローマの彼と僕は運命の人なんじゃとそんな気がしてくる。
 
 
いままではそれを、縄文人のDNAのおかげとか、「日ごろの鍛錬の成果です!」なんて偉そうに言ってたけど、本当は・・・・・・
  
才能とか、鍛錬の成果とか、そんな生やさしいものじゃなく・・・・・・
 
 
 
 
実は、前世で、野獣のように人を殺しまくってた名ごりなだけなんじゃないか。
 
 
投げ飛ばしては剣で貫き、遠目から弓矢で敵兵を殺しまくったんじゃないか。だからいまもそれを覚えていて、染み着いてて出来るだけなんじゃないか。
 
 
なにより前世で、殺しちゃいけない人を拷問にかけたのだとしたら、いまの僕の、暴力への猛烈な拒否反応は非常に納得がいく。きっとそれをしてから、死ぬほど後悔をしたのだろう。
 
 
 
また暴力への恐れは、後悔だけじゃなく、自分の中にいる“獣”を恐れるが故であるかもしれない。
 
 
というのも、一度、瞑想で自分の奥深くへと潜ったときに、まるでダウンタウンの浜ちゃんが、熱々のおしぼりを「ひゃひゃひゃひゃ!」と笑いながら山崎邦正の顔に延々とかける、あの狂気の獣が自分の中にもいると分かった。
 
 
というか、その獣と出会うや、僕はその顔が気持ち悪すぎて嘔吐した。その顔にもう出会いたくない恐れが、あの獣を恐れる気持ちが、僕の暴力への恐れとして現れていると、そのとき知った。
 
 
 
 
そして、あの顔が、きっと前世の僕なんだろう。あの顔は狂気に染まっていた。拷問をすることに麻痺し、それ自体に楽しみを見いだしていたような顔だった。どうしたら人が苦しむかを、知り尽くしている顔だった。
 
 
それで、その顔と戦ってるのが・・・・・・いまの僕か。その顔を押し込め、良い人でいたいと。その顔がしようとする逆のことをしようという、もしかしたら、それが生きるということなのか。
 
 
 
もしかしたら人は、前世の自分と戦うために、もう一度生まれるのかもしれない。もしかしたら、誰の心の奥底にも“前世の顔”というのが眠っていて、その顔と出会うのを恐れ、その顔に反発し続けるのが今の人生なのかもしれない。
 
 
自分という人間の性質、行動は、きっとそんなとこから生まれてるんじゃないか。それが運命と呼ばれるものか。
 
 
そして、その前世の顔と戦い続けるのが、輪廻なのか。
 
あの顔と戦い続ける限り、きっとこの人生でも僕は間違いを犯す。その間違いと戦うために、もう一度生まれ変わる。何度も何度もそれを繰り返す、それが輪廻か・・・・・・。
 
 
 
だとしたら、およそ魂に自由はない。がんじがらめで、何のために生まれてきたのかといえば、幸せな未来を築くためじゃなく、過去の因縁と向き合うためでしかない。
 
なにかに一生懸命行動する人ほど、その人は実は過去の顔と戦ってるのかもしれない。
 
過去の恐るべき自分に打ち勝つために、それを忘れるために、そう行動せざるを得ないのかもしれない。
 
 
 
じゃあ・・・・・・結局のとこ、いまの自分にはなにが出来る?
 
すべてが反発で、反応や反射からの行動だとしたら、いまの自分が、本当の意味で出来ることは?
 
 
もし、出来ることがあるとしたら・・・・・・
 
 
 
 
それは、きっと自分を許すことでしかないんだろうな。