楽しみの下駄

お酒を飲むと楽しくなるという人がいる。
 
 
僕がお酒を飲まないというと「あら可哀想に」と「なにが楽しくて生きてるの?」と聞いてくる人たちのことだ。
 
もしくはそれこそ僕に八塩折の酒を飲ませ、それにより昏倒した隙に僕の股間のヤマタノオロチを顕現させ、なおかつ荒れ狂うオロチをその神妙な妙技にて鎮めせしめようとする神の使いことゲイな人たちもそう。って、はい、ごめんなさーい。
 
 
このまえ会った友人に「ひこくんの文章は、普通の女子が読むとまずドン引きするよね」と言われた意味を「ふーん」と噛みしめつつ話を戻すと、そうそうお酒を飲むと楽しくなる人が世の中にはいるんですって。
 
 
いや、楽しくなるというか、気持ちよくなるというか、今夜は何センチ甘えよう、みたいな? ともかく、人というのは、お酒を飲むと普段よりちょっと気分が変わるんだそうです。
 
 
言ってみれば、お酒を飲むことで、ちょっと見る景色が変わるという。
 
 
って、そういうと、まるで下駄を履くのと同じじゃあないですか。
 
 
下駄やら、ハイヒールやら、シークレットブーツやらを履くと、あら不思議、いつもより身長が10センチ高くなるわってのと、考えると同じじゃあないですか、ね?
 
もっといえば3Dメガネみたいなもんですよ。映画じゃなく、現実世界で3Dメガネを付けるようなもんですよ。そりゃ前後不覚にもなるし、気持ち悪くなって吐くのも不思議じゃないというか、いやいや、この文章は、べつにお酒を悪く言おうって、そんな話じゃないのです。
 
 
お酒は悪いぞー死ぬぞーっていって、しかしこの壷を買えばなんて、そんな商売をしたいんじゃなくてですね。そんなんより、もう一段めんどくさい「そういう下駄が、実は世の中に溢れているんだなあ」ということを、このごろよく考えるのです。
 
 
 
いわば、その人の感覚を、その人の感覚じゃなくさせるものが。この世界をちょっとでも楽しく見せようとするメガネが、人を正気じゃなくするものが、まあ世の中には溢れてますねと、そう思うのです。
 
 
 
で、なにがいいたのかというと、この下駄ですよ。
 
僕らの目線を数センチ変える下駄を、果たして僕らはどんだけ履いて歩いているのかと。どんだけ素の自分から遠い自分で生きているのかと。そして、もし下駄をすべて脱いだとき、その完璧なシラフな状態で果たして僕らはなにを見るのかと。
 
 
恋愛、仕事、お金、人気、権力、夢、食べ物、物語、音楽、そのほかもろもろろろろ。
 
 
 
もしお酒を止めたら、シラフの僕はこの世界をなんと見るだろうか。
 
この瞬間、すべての下駄を脱ぎ、もし完璧なシラフとなって地に足をつけたら、果たして僕らはこの世界を一体どう言葉に出来るだろうか・・・・・・
 
 
 
ほほほ。想像力があれば、この問題はすごく面白い問題なんだけど、さて、どうでしょうか。想像しがいがないですか。
 
ともかく、より美味い酒を飲めば、より楽しく幸せな人生になるのは確かなんですよね。ほんと、僕もお酒が飲めたら、高田クリニックの院長みたいな人生になれたかもしれないのに! キー! なんて。
 
 
ちなみに、いまこの文章を書いてるそばに、別れ話をしてるぽいカップルがいる。女の子が泣いている。ああ。酔いが醒める。まわりの人たちは、彼女の涙に気づかずに、自分の世界で楽しそうに笑ってる。僕は酔いがまた少し醒めた。そして心の中で、泣いてる彼女にティッシュを渡した。

まさにブログ的な自己顕示欲

身体を調整したら、文章を書く気が起こらなくなった。
 
と同時に、あろうことか、突として絵を描きたくなった。
 
 

f:id:nagarau:20160827223354j:image

 


 
「絵を描きたい」なんて、ここしばらく頭の中にこれっぽちもなかったのに。なのに身体が変わった途端、その身体と一緒に感性も変わったのか、つまりこれが世にいう変態ということなのか、一夜にして人が変わったように僕は絵を描き始めてしまった。
 
 
にも関わらず、身体が心がすでに動いているにも関わらず、なのにまったく、頭はなんてトロくさいことか。
 
 
「えっ、えっ、えっ、なに急に絵なんて描いてるの怖っ!」と、
 
「おまえは漫☆画太郎みたいな絵しか描けないんだからやめとけって!」と、
 
「ほら昔、好きな子への年賀状に絵を描いて送ったら、その絵を見たその子の母親に『あんた呪われてるんじゃない・・・・・・?』って言われたよね」と、
 
「ではご一緒に、はい! トーラウマッ、はい! トーラウマッ、はい! トーラウマッ、はいっ!!」って、この思考の声というか、この全力でモチベーションをへし折る感じというか、僕の心のブレーキってば優秀すぎやしませんか。
 
 
まあともかく、頭というのはそういう働きをするのです。身体が心が動いても「いやまてよ」と行動にブレーキをかけようとする。もしくは身体が心が動かなくても、「あっちに行ったほうが得や!」と計算すれば、仮にそれが地獄の入り口でも、行け行けーい!と行かせてしまう。
 
 
思えば、僕の好きなデヴィッド・フィンチャーの「ドラゴン・タトゥーの女」って映画でもそんなシーンがありましたなあ。
  
主人公はこいつが犯人だというのを感じていて、なのにその犯人の招待を「断るのは失礼かしら」と、行ったら危ないと本能で感じてるのに体裁を気にして行って、そんで死にかけるという。
 
逆に、その主人公の相方の子は“本能全開”な子で、この本能全開の感じが見てて気持ちよくて、けど不器用で見てて苦しくて、ああこの子は天使やなあと見てて恋しちゃうような感じで。
 
そんな理性と本能の対比が面白すぎる映画で・・・・・・つまりいうと、じゃあ人間とは理性たる存在なのか、それとも本能たる存在なのかということなのですよ。
 
 
そういえば、僕の整体の先生がよくこんなことを言っている。
 
「あなたはどこにいる?」
 
それで、ここですって胸のあたりを指さすと「心臓にいるってこと?」って言われ。じゃあここかなと頭を指すと「脳味噌があなたなの?」と言われて。
 
 
で、ふと、あれ? って思う。
 
 
僕は頭だけの存在かと。いや、違う。思考するしないに関わらず僕は息をし、心臓を動かし、熱い血を巡らせてる。もっといえば、思考するしないに関わらずに陰茎はそれが意志を持つかのような僕そのものすぎるじゃないか!
 
そしてそう考えると、指をさすには存在が大きすぎて(※ 陰茎が大きいという訳ではない)、僕は僕を指さすことが出来ないなあと。そう思ったという。
 
 
まあ、そんなわけで、なにを言いたかったか分からないけど、僕の僕は絵を描きたくなったから描くのです。うまいか下手かの判断は、素敵な思考世界の住人たちに任せよう。
 
しかし、僕が描く絵は相変わらずエグみがあって、自分で描いてて吐き気がするのは確かにそう。

ストライクゾーン物語

前回のあらすじ。

 

f:id:nagarau:20160825194046j:image
 
「よーし、今日もアウトローいっぱいに投げちゃうよー」と、今日も今日とてストライクゾーンぎりぎりにボールを投げてる男がいた。彼は、このきわどいコースにこの変化球を投げれるなんて、こりゃ西田局長もびっくりだなと探偵ナイトスクープに出る心配までしていた。
 
しかし、それはあくまで草野球、あるいはSNS野球盤という夢の世界なのだというのを彼はまだ知る由もない。
 
 
あるとき、調子に乗った彼は俗世間へと飛び出すことを決意。おらのアウトローは社会でも通用するぞと、自分アイランドからペットボトルいかだ(可愛いイルカのペイントが施されている)で出航。さあ、いざ資本主義餓鬼衆道野球の扉を叩かん・・・・・・としたら、あろうことかそこには審判がいたのだった。
 
 
そう、彼は審判相手に一度もボールを投げたことがなかったのだ。投げる相手といえば、いつでも自分誉めてくれるクマや、タヌキや、欲求不満の人妻ばかり。
 
まさかのまさかだった。
 
しかし彼はいつものようにボールを投げた。ストライクぎりぎりいっぱいに決まった!と思った瞬間、彼はいつものように自撮りをした。そして、イイネがどれだけ付くかという心配をし始めたそのとき、審判が叫んだ。
 
「既読スルー」
 
なんとストライクゾーンを外れたどころか、ノーリアクションの既読スルーをされてしまった。
 
そんな、あそこはストライクじゃないのか、アウトローいっぱいじゃないのか。彼は思わず、あの、すいませーん、いまのがストライクじゃないって言われても困りますーと駄々をこねた。散々にゴネた。このままだと泣き出して、最悪の場合デモをしたり、ハンガーストライキをしそうな勢いだったので、もう仕方ないなあと審判が言った。
 
「有名人がシェアしたらストライクにしてもいいよ」
 
 
 
・・・・・・ってのが前回のあらすじでした。
 
いや、それはそうと、世の中にはストライクゾーンが小さい人がいるんです。大きい人はまだいいんだけど、小さい人は、もはや手を伸ばしたら取れるやんってとこでも、ボールを取らない。しかもそれでどこ投げてんだと怒る怒る。
 
ほんと困りますなあ。ど真ん中だけの聖人野球がしたいのかしれませんが、だからといって聖人しか認めないというのはどうなのかなあ。
 
 
なんて話をしたいんじゃなく、そもそもに、みんなルールが違うんです。ストライクゾーンの広さは千差万別にみんな違う。あなたと僕のストライクゾーンは、それぞれの器の大きさなのか、質の違いなのか、こっちがストライクのつもりで投げたボールが、そっちからしたらデッドボールだってことが実によくあるわけです。
 
そんなわけで、僕は散々にデッドボールを投げてきたみたいで、この場を借りて、僕の渾身のデッドボールを受けたすべての人に謝りたい。どうもすみませんでした。
 
けど、僕のなかではそんな珍プレーもそれはそれでスポーツマンシップに乗っ取った絶妙なストライクなので、もちろんこれからも投げますし、なんならどうにかして、飛行機や新幹線のシートを後ろに倒すときのように、これからじわじわストライクゾーンを広げたろうと思いますのでどうかよろしくおねがいします。

 

始球式はじめました

「よーし、気が狂ったような文章を書きまくるぞー」
  
と思ってた矢先、「活元運動」ってな自分の身体をボキボキ調整するアオミドロの物真似みたいなことをしてたら、これが間違いで、身体の偏りが解消され文章を書く気がチーンと失せ、なんだか清浄な面持ちになってしまった。
 
 
てめえこの、ダンカンこのやろうって気分だったのに、とたん偏りが緩んで、ダンカンありがとうってな、そんな月の世界に帰ったかぐや姫みたいな、おほほほほになってしまった。
 
 
あああああ、しまったーーーーーーーーー。
 
 
というか、まったく偏りって大事やねえ。
 
身体と心はリンクどころか直結してるわけで、つまり身体に歪みや捻れなんていう偏りがあるから、心もそのように歪んで捻れて、人間を人間らしくしとるわけで。千差万別な身体の歪みが、そのままその人のあほでばかな面白い個性そのものなわけで。
 
いわば、「歪みが僕!」といって過言でないのに、なのに歪みをとったら一体僕になにが残るんだと・・・・・・
 
歪みが無くなったら、それこそ海老蔵ブログみたいな、ハートと音符の絵文字あふれる素敵な文章しか書けなくなるんじゃないかと、ああ考えただけでスリラー。
 
 
ともかく、歪みのない聖人になんてなりたくない。歪みを取るなんてもんは、まさに精神病患者に接種する抗うつ剤みたいなものだ。それはそれで悩みがなくなって良いような気がするけど、だけど同時に、その人だけが感じられた透明な光が、もはやその人に届かなくなってしまう。
 
 
そんなわけで、そこらに生えてる木も、みんな同じようにシャキーンとだけ生えてたらつまらんのです。大工さんからしたら、そんな木に巡り会えたら、うひょーってなもんだけど、これがもしその木と一緒に生きるとなると、歪んでたり穴があいてたりするほうがよっぽどエロい、っちゅうか、たまらんなあって、ほっぺたをすりすりしたり穴に棒を入れたくなるってなもんなわけです。
 
 
だから、歪み万歳というわけで、折れたり病気にならない程度に、もって生まれた歪み通りに、のびのび歪んで生きていきたい。
 
歪みが、ある一線を超えるとガン化したりするらしいので、その辺は絶妙なバランスでしこしこするとして。聖人でもなく、病むでもない、いってみれば病むラインをぎりぎり出るかどうかの、野球でいう、ストライクゾーンはアウトローいっぱいに入ったストラーイクッ!!くらいのとこを、これでもかこれでもかと攻めてきたいもんですな。
 
出来ればバッターが「いまのは入ってない」って本気で怒り出すくらいのアウトローいっぱいに・・・・・・
 
 
って、そう考えると、いまの世の中はみんな調整だ調整だってばかりでつまんないですね。
 
身体を心を整えて整えて、さあ、ど真ん中ストレート勝負よ!! って、確かにストライクを取ることは大事だけど、ストライクゾーンは広いんだからもっとギリギリいっぱい使わないと。そればかりだと、ストライク取る以前にそもそも野球する自体がつまらなくなる。
  
 
だから、もっとストライクゾーンぎりぎりいっぱいに・・・・・・
 
もっともっと危ない変化球で・・・・・・
 
 
ってしてたら、いつの間にかストライクにボールがまったく入らなくなったりして。投げても投げても、ボール、ボール、フォアボールって、ついにはアウトロー過ぎてストライクゾーンに人生がまったく戻れなくなったりして・・・・・・
 
もし僕がそうなったら、ああこれは始球式なんだと温かい目で、とりあえずバットは振ってくれる感じでお願いします。

UMA(未確認生物)現る

近所にオペラ歌手が住んでいるらしい。
 
 
なぜ「いる“らしい”」なのかというと、未だその姿形は未確認なのだが、時折、まるで生命エネルギーの発露もしくは発情期って感じの発声音が「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほ~っ」と近所中に響きわたるからである。
 
 
日が暮れ、空が鮮やかな紅緋色に染まり、胸から軽い空気が少しずつ抜けていくようなあのさむしげな時間帯に

 

「あーあーあーあーあー」

 

とドミソミド音階が鳴り響き、一体どうなってるんだこの世界はと僕を混乱に貶めるからである。
 
 
ともかく、近所にオペラ歌手もどきのUMA(未確認生物)がいるのは間違いない。そしてその鳴き声から推測するに、そのUMAは50代を過ぎたおよそ小太りな女性である可能性が高い。
 
 
まあ、とは言っても、べつに悪さをするわけじゃないし気にするまでもない。
 
朝、さあゴミを出しに行くぞというときに、背後からいきなり「ハレルヤ!」って挨拶されたら怖いなあとは思うけど、そんなこともないし。気づくと人のゴミを漁ってるとか、人の洗濯物を着てるとかだったら嫌だなあ引っ越したいなあと思うけど、そんなこともなく。
 
することといえば、時折なにかを受信したような「ほっ、ほっ、ほっ、ほ~っ」と仲間を呼ぶ挙動を起こすだけで、まあ実害はないからいいやと、そんなわけでこれまで真剣な探索もせず野生のまま放置をしていたわけですが。
 
 
これが今朝の4時に、突然とリオオリンピックの応援を始めたから大変です。
 
 
「え? 地震?」って思って目を覚ましたら、それ以上のとんでもないことが起きてたわけです。ただの「ほっ、ほっ、ほ~っ」とは比べものにならない情感豊かな咆哮が、まるでWifiかというくらい野を越え、山を越え、壁を越え、家で普通にテレビを見るよりも立体的なサラウンドで僕の耳に響いてきたのです。
 
そしてもちろん近所中にも「いけぇ~!」だ、「おしい~!」だ、「やめて~!」だ、「あっ、あっ、あっ、あ~~~っ!」だ、「あ~~~ん、もう・・・・・・」との声が響いてって、おいおいなんなんだこれは。
 
 
家の布団で平和に寝てたはずなのに、なのにいきなり起こされ、

 

「はは~ん。このオペラの人は、夜の営みもきっと声が大きいに違いない」
 
って、なんでこんなことを寝起きの瞬間に考えてるんだ僕は。ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。たのむから早く終わってください。すいません、もう勘弁してください・・・・・・

 

と、布団の上でごにょごにょ念仏を唱えてたら「やったーーーー!!!!」という、花火でいう4尺玉がついに登場って感じの、一際どでかい咆哮爆発ののちに一瞬の静けさに包まれ、ふとあたりからそれまでかき消されてた爽やかな小鳥の声が聞こえてきました。
 
 
やったー、おわったーと僕も密かに拳を握りしめました。なんの競技か知らないけど、おそらく僕の渾身の応援が実って日本が勝ったのでしょう。

 

ああよかった。さて寝よう。おやすみなさい。
 
神さま、朝から恐ろしい夢を見ないようどうか僕を守ってください・・・・・・といってまた安らかに眠るはずが、なぜか目がギンギンに冴え、もう二度と眠れませんでした。

口癖が「地獄」

最近、口を開けば「地獄地獄」言ってる気がする。
 
 
「やあやあ、今日も暑いですなあ」
 
「ほんと、地獄のようですねえ」
 
 
という感じで、わりとほがらかに地獄を駆使している気がする。
 
で、このままだと「この際だし、ただの地獄だけじゃなく八大地獄を暗唱出来るくらいにはなっとこうかな」と、ユーキャンを開いて文部科学省認定の地獄検定試験の資料を請求しちゃう気がする。
 
で、試験にまんまと落ちて、こりゃやっぱワーホリして本場の地獄を学ばないといけませんなあとか言いだして、プロレスリングで地獄固め失神KOの後、イタリア在住のダンテさんと一緒に地獄に飛び立ち、そしてさっそく現地でアルバイト探しに勤しむも、
 
「いや~日本人のいる地獄はちょっと」

とか言って、アルバイトの選り好みをしてたらお金が無くなって、地獄から帰れなくなってブッダさま助けてじゃなくて。そんなわけなくて。
 
 
 
なんというか「地獄」が口癖になってる気がするんですよね。
  
で、それってなんていうか、自分で言ってて非常に怖いというか、もしかしたら末期なんじゃないかって、そんな気がするんですよね。
 
 
最初はたぶん、ほんの出来心だったんだと思いますよ。「いろんな言葉の頭に地獄ってつけると面白くない?笑」って感じで、小さい子がうんこだ雲母だと飽きずに言う感じで、地獄甲子園とか、地獄天然水とか、地獄南極物語とか、地獄おれのイタリアンとかって、目に入るものすべてに地獄地獄と付けてはうふふふと、心の中で密かに楽しむだけだったんです。
 
けどこれが、いつしか目に余ってきたというか、増殖するウイルスのように意識に浸食、暴走してきたというか、気付けば口を開けば地獄だヘルだと、まるでデーモン閣下じゃあるまいし。
 
 
ああ、「口癖は、ありがとうです」と胸を張りたい。胸を張って「ありがとうの魔法」とかいうワークショップをして、僕のほうが癒されたとかなんとか言いたい。
 
 
けど言ってみて、そのタイトルだけで、それこそ地獄のようにつまらなそうな気がして、そのつまらなさに思わず放屁なんて考える僕はもうダメかもしれない。
 
もう、どうしようもなく、つまらないばっかりだ。「ありがとうの魔法 地獄のワークショップ」なら、ちょっとは面白そうとか思うけど、問題の根本はそこじゃあない。
 
自分を含めたすべてをつまらなく思う、この死に至る病にどうにかして抗わなければ、いつ僕はつまらなさに押しつぶされ、地獄谷温泉での健康的な入湯自殺をブチ決めるか分かったもんじゃない。
  
 
故の、戦いである。
 
自分の度重なる失敗と絶望に抗わんとする、まさしくこれは戦いなのだ。
 
 
作戦名は「こぶとり爺さん大作戦」である。3日前に決まった。自分を取り囲む鬼どものことは忘れて、ただ踊りたい一心でレリゴーする単純明快なメガンテである。
 
というのも、もうそれっぽいことに飽き飽きなのだ。それっぽくしてる自分が、もはや肚の底から不憫なのだ。
 
もっと面白く生きたい。
 
僕のいう地獄は、つまりそういう意味なのだ。

 

 

夢地獄

夢の中でとんでもない本を読んだ。
 
普通、夢の中で本を読むと、読んでる最中にぐにゃあと本文が歪んだり、同じ文面が地獄のように無限に続いていたり、読もうとするたび隣の席のおばさんの存在感が異常すぎて集中できなかったりするけど、今回はまったくそうじゃなかった。
 
これがもう完璧に成立した文章で、読んでも音読しても、滞りなく美しく完成した文章としてそれが読めた。しかもトラックのタイヤくらい存在感のあるおばさんも邪魔に現れないし、夢としては前代未聞。なんと最後まで読めてしまった。
 
 
「これは奇跡だ!! この本のことを絶対忘れまじ! 覚えたまま、絶対現世へ連れて帰るぞ!!!」
 
 
というのは、夢を見ながら「これは夢だ」と気付いていたからで、だからこそ慎重に丁重に、天に延びる一本のクモの糸をたどるようにして現実世界へと持って帰ろうと僕は試みた。
 
言ってみれば、この「これは夢だ」という意識が一瞬でも切れたら、それはクモの糸が切れるのと同じである。糸が切れたら、もはや僕は地獄へ真っ逆様。地獄に落ちた僕は、もはや人間であることすら忘れ、そこに自生するオランウータンと一瞬にして同化し、ただ見分けがつかなくなるどころか、彼らと和気あいあいと繁殖行動を起こすかもしれない。
 
だから、ともかく意識を失ってはならない。夢に落ちてはならない。これはミッションである。まるでインディ・ジョーンズよろしく、夢世界の魔法のランプを現実世界に持って帰らねばならないのだ。
 
 
しかし夢の世界というのは、これが冬の日本海か、一人でのんびり温泉に入ろうときに年寄りに絡まれるくらいたちの悪いところがある。
 
強烈な嵐か、もしくは僕の気の小ささを利用した断りきれない昔話の相手か、あらゆる手練手管を使って、夢は僕の意識の糸を切ろうとするのだ。現実世界に、夢世界の魔法のランプを上らせないようにするのだ。
 
 
って、まったく、なんでそんなことをするのか。あほじゃないのか。
 
夢の世界は、僕をなんだと思ってるんだ。少しは僕を信用しろってんだ。核兵器のボタンを与えられたら「ウホッウホッ」と何の考えもなしにボタンを16連射するとでも思ってるのか。魔法のコンパクトが手に入ろうもんなら「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、キムジョンナムになぁ~れ~!」で一瞬にして絶大な権力でも手に入れるとでも思ってるのか。
 
 
ふふふふ・・・・・・ってうそうそ。キムジョンナムになった妄想なんてしてません。ともかく僕は清廉潔白なんです。あらゆる欲望と、しがらみからもはや超越してるんです。そこんとこ分かってもらって、もう下手な試練とか辞めてもらっていいですかねえ。だって、これからはなんたってTPPの時代ですよ。もう関税なんか取っ払って、夢世界の消化し尽くした絞りカスじゃなく、そろそろ本物の黄金のほうを持ち帰らせてはいただけないですかね。ああ、そろそろ僕も魔法のランプが欲しいなあ~・・・・・・
 
 
 
としてたら糸が切れ、僕は「あ~れ~~~~~」と地獄へ堕ち、そこで自生するオランウータンと泥の中をスイミングしたり、うんこ投げ合ったりして仲良く暮らすことになり、そして気付けば布団の上でニコニコしながら僕は目を覚ましたのでした。
 
「あ、れ・・・・・・ここはどこ? さっきまで愉快な仲間と一緒に生を満喫していたのに・・・・・・?」
 
もはや本の記憶はありませんでした。いや、わずかにあるけど、もはやその本はオランウータン語に翻訳されており、泥だかうんこだかにまみれ、とても読めたもんじゃありませんでした。
 
 
「てか、本なのが悪い!! なんで本なんだ!! 次からは、映画にしろ映画に!!! 文字だけなんて、いま普通に読んでも忘れてまうわ!! もっとスピルバーグとか、デヴィッド・フィンチャーとかの巨匠に頼んで、一度見たら二度と忘れない感じの映画にしろや!!」
 
 
というわけで、自分じゃなく、他をどうにかして美味い蜜を吸おうという、こういう魂胆が下衆なんでしょう。重くて糸も切れるわけです。
 
こういうとこを少しずつ軽くして、夢の世界とのやり取りを今よりやりやすくしていかないとなあ。けど、やっぱ本はもう辞めてほしい。出来たら、こう、可愛い女の子の出る映像作品で、お願いします。